愛犬クマトが永眠について以来、昨日が49日だった。
あの子が天国へ旅立ったことは疑いようもなく、メメ・テレーズを筆頭に、イリス、まるちゃんなど、色々な仲間と楽しく暮らしているだろう。
最後の晩を二人で過ごしたのだが、人間だったら呼吸器をつけるような状態で、一晩中ハァハァし、時にはベッドに上がってきて私に救いを求めていた。「かぁちゃん、どうにかしてよ!なんでもしてくれるって言ってたでしょ!」という文句と共に。撫でようとしても顔を背けるほどだった。必要なのは苦しみを取り除くことだったから。と言って、私にはどうにもしようがなかった。
最後の朝、まだ涼しい空気の中、彼はしばらく庭にいた。外の方が空気が吸えたのだろうか。自分の庭にお別れをしていたのだろうか。
書斎で東に向かって座り、上を見上げてハァハァしていた姿は、当然呼吸が苦しくてしていたのだろうけれど、もしかしたら天国と話し合っていたのかもしれない。
チェコ旅行に出かける3日前に容体がおかしくなり、これも最後か、とオランジェリー公園へ行った。歩きたがらなかった。子供の頃から大好きだったマティアスが家族で来ていたのに偶然出会ったが、挨拶もしない感じだった。そして自転車の前カゴに乗せてGのところへ行ったら、「どうしてそんなことするんだ!」と怒ってきて、涙が溢れた。
旅行に出るのを断念しようか、とまで考えたが、様子が向上してきたので、預けて旅行に出た。「ママ、帰ってくるからね」と言い聞かせて。
旅行中は元気な様子で、他の犬と遊ぶぐらいだった。それが私が帰途に着く頃から元気がなくなってきたようで、それでも家に戻ってきた時は嬉しそうだった。
晩御飯は普通に食べたけど、、、全部は食べなかったか。与えなければ、とシロップを飲ませたが、いつもは咳をするのに、咳をする元気もないようだった。
夜半からハァハァし始めた。明日、獣医に連れていきたい、と思った。何ができるか分からないけど。意識がこんなにある子を安楽死させるわけにもいかない。翌日、翌々日は仕事がびっしり入っていた。週末になったら一緒にいられるけれど、、、。「週末まで待ってほしい」とクマトに言ったが、承服しがたそうなしがたそうな眼差しだった。「もう待てないよ」と言っているようだった。
犬をカートに入れてGのところへ連れて行った。カートから降りられないぐらいだった。「獣医に連れていきたい」と言ったら、「連れて行ってどうするの?」と返された。
バタバタしながら犬を後にして仕事へ向かった。ちゃんとした話もできなかったような気がする。この時は流石に犬も少々朦朧としていたような気がする。
仕事の合間にSMSをGに打ったら、「寝ている」と返され、昨晩寝てなかったのだから、少しでも休めているのなら、嬉しいと思った。一刻でも早く家に帰りたくて、同僚Nさんに延長が出たら、代わってもらうよう話をつけていた。そして昼過ぎに戻って、、死を知らされた。
眠るようにカゴに中に横たわっていた。安らかな死に顔だった。フラッと外に出て、おしっこしようとして、戻って抱かれたカゴに戻り、そこで静かに息を引き取ったようだ。
死後の扱いについて、あまり興味を持てなかった。剥製にしたい、と強く思った。
遺骨や法要にあまり意味を見出せなかった。大事なのは魂だと思う。生前、どれだけ大切にしたか、だ。
大馬鹿かぁちゃんだったから、死んだ当日も、朝、ぐったりしている犬にいつもの通り無理やり薬を飲ませたり、ダメダメだったな、と思う。
でも、できる限りのことはした、と思う。
去年の春、肺種と心臓肥大が発覚して以来、一時期本当に元気がなかったし、眼の怪我もあって、老犬介護の一年だった。ベッドの足も取り払って、犬が楽に登れるようにしたし、夜間の外出も控えた。犬連れの時はあまり遅い時間には帰らないようにした。授業が早い日は前日からGのところに預けた。去年の夏は時間があったので猛暑の中、心臓肥大がある彼のために毎日水浴へ連れて行った。ケールの噴水、ライン川の中洲、近所の犬用ビーチ、ライン川の小川、、、、などなど。
私が延命させてしまったのかもしれない。旅行前に具合が悪くなったのも、思えば、前夜パトリシアらと飲みに出て遅くなったので、Gのところに預けたような気がする。旅行に出ようと決めたのも、昨夏ずっと犬にかかりきりだった自分をもう少し自由に生きなければ、と奮い立たせて決断した旅行だった。犬はもしかして微かに感じていたのかもしれない。私がもっと生きていて欲しいと思っていたから、彼も頑張っていたのだ。外出と旅行で彼はもしかして自分は見放されつつある、もう旅立とうと感じたのかもしれない。
3月の検診では検査の値も状態がとても良くて、先生に驚かれた。(心臓の病気と)うまく付き合っている、と言われた。賢い犬なんだなぁ、、、
Gとヴァカンスに出なくなって以来、彼をヴァカンスに連れて行けたのは10年のうちのたった3回だけだった。2014年のマルセイユ、201?年のブルゴーニュ、2019年のヴィムルー(ノルマンディー)のみだ。それでも二人でビーチで遊んだり、山道を歩いたことはいい思い出だし、元気なうちにもっともっと、できたら良かったかと思う。けど、まぁ、腑がないかぁちゃんなりには頑張ったし、本当に可愛がって、愛したと思う。
こういう子でいて欲しいという望み通りの子に育った。賢く、優しく、私や周りの人間に対する信頼があり、ちゃんと主張できる子だった。表情があり、一緒にいて面白かった。要求高い子だったが、それに値する賢い子だった。一人でいることを絶対的に拒み、残すと遠吠えをした。
別れは必然だったし、小さな後悔はあるけれど、全体においてはやるだけのことをやり、幸せな時間をたくさん過ごしたので、思い残しはない。
ただ、いなくなって寂しい。全幅の信頼を寄せてくれていた存在がいなくなってただ、ただ寂しい。Tu me manquesは「あなたがいなくて寂しい」という訳がもっとも相応しいと思うが、つまり「あなた」が必要だ、ということなのだ。
この子を育て上げることができて、15年を一緒に過ごせたのは私の大きな成功体験である。心を込めて相手をすれば、自分の子は思い描いた通りになる、ということだ。
偉大な犬だった。最後まで偉大だった。
気高さを持つ犬だった。最後まで気高かった。
美しさを持つ犬だった。最後まで美しさを持っていた。
自分の飼い犬のことをこんなに称賛するなんて馬鹿みたいかもしれない。自分が作ったとも言えるけれど、やっぱりある種の授かり物であり、天からのギフトだったという感謝の気持ちが消えない。
また会いたい。


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