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6月, 2023の投稿を表示しています

49日を迎えて

愛犬クマトが永眠について以来、昨日が49日だった。 あの子が天国へ旅立ったことは疑いようもなく、メメ・テレーズを筆頭に、イリス、まるちゃんなど、色々な仲間と楽しく暮らしているだろう。 最後の晩を二人で過ごしたのだが、人間だったら呼吸器をつけるような状態で、一晩中ハァハァし、時にはベッドに上がってきて私に救いを求めていた。「かぁちゃん、どうにかしてよ!なんでもしてくれるって言ってたでしょ!」という文句と共に。撫でようとしても顔を背けるほどだった。必要なのは苦しみを取り除くことだったから。と言って、私にはどうにもしようがなかった。 最後の朝、まだ涼しい空気の中、彼はしばらく庭にいた。外の方が空気が吸えたのだろうか。自分の庭にお別れをしていたのだろうか。 書斎で東に向かって座り、上を見上げてハァハァしていた姿は、当然呼吸が苦しくてしていたのだろうけれど、もしかしたら天国と話し合っていたのかもしれない。 チェコ旅行に出かける3日前に容体がおかしくなり、これも最後か、とオランジェリー公園へ行った。歩きたがらなかった。子供の頃から大好きだったマティアスが家族で来ていたのに偶然出会ったが、挨拶もしない感じだった。そして自転車の前カゴに乗せてGのところへ行ったら、「どうしてそんなことするんだ!」と怒ってきて、涙が溢れた。 旅行に出るのを断念しようか、とまで考えたが、様子が向上してきたので、預けて旅行に出た。「ママ、帰ってくるからね」と言い聞かせて。 旅行中は元気な様子で、他の犬と遊ぶぐらいだった。それが私が帰途に着く頃から元気がなくなってきたようで、それでも家に戻ってきた時は嬉しそうだった。 晩御飯は普通に食べたけど、、、全部は食べなかったか。与えなければ、とシロップを飲ませたが、いつもは咳をするのに、咳をする元気もないようだった。 夜半からハァハァし始めた。明日、獣医に連れていきたい、と思った。何ができるか分からないけど。意識がこんなにある子を安楽死させるわけにもいかない。翌日、翌々日は仕事がびっしり入っていた。週末になったら一緒にいられるけれど、、、。「週末まで待ってほしい」とクマトに言ったが、承服しがたそうなしがたそうな眼差しだった。「もう待てないよ」と言っているようだった。 犬をカートに入れてGのところへ連れて行った。カートから降りられないぐらいだった。「獣医に連れていきた...

お揃いバッグ

何と、添乗員さんと素材違いの同じバッグ! 自分がいつ買ったかハッキリとは覚えてないけど、2015年か16年ごろかな?と思う。近年は皮の色が禿げてきていたので使っていなかったのが、先日のチェコ旅行でたくさん入るから便利で使うようになった。あとポシェットがもう終わってきてるってのもある。新しいバッグ欲しいけど、やっぱりキップリングなんかだとカジュアルすぎちゃうんだよな。 このバッグはどこにでも持っていけるからいい。修理して使おうかな。 内布も彼女のはフツーの黒だったけど、素材以外、金具も全部一緒で驚いた! こっちでは素材違いは売ってなかったな。200ユーロ以上したと思う。でも満足して使ってた。 やっぱりいいもの、気にいるものを買おう!  

自分の能力?!

  愛犬の死は辛かったが、理想通りに最後まで生きた彼を作り上げたのは自分だと実感している。心を込めてそれをしていると思い描く通りになるのだ。  先月、大役をオファーされた。疑問はあっても、やはり、自分はここまで上り詰めたのだという感慨がある。そんな役目を任される年齢、そして経験値を積んだのだ、と。  そして、今日何と副総領事の修士論文の審査員として加わることを承諾した。動機は、この方が書くテーマに興味があったからだ。そんな立派な方の修論審査員になるとは。そこまで上り詰めたのか、と。  今、占いの動画を見ていて、同じことを言われた。素直に受け入れねば。

映画「ある男」感想

  日本映画祭での公開前上映を機に見に行った。 以前から平野啓一郎には興味を持っていたのだけれど、映画の出来とともに原作のレベルの高さに舌を巻いた。  戸籍売買を扱った作品なのだけれど、それが自己アイデンティティーへの問いへと繋がっていて、大変奥行き深い映画だった。  ひと月前に愛犬を亡くした私にとって身に染みたシーン  二人目の子供を脳腫瘍で亡くしたりえ(安藤サクラ)が思い出を語るときに、悪性だと知らなかったから、一生懸命治療して治そうとして、辛い放射能治療などをさせてしまった。治らないんだったら、もっと楽しい経験をさせてやればよかった、と涙ながらに語る場面。愛犬は老犬だし、保険も効かない犬だから手術はしなかった。全身麻酔の手術が辛いかとどうかはさておき、一年以上、症状を抑える薬を飲ませながら、ともかく辛くないように、楽しい時間を過ごせるように、というポリシーで過ごしてきた。それでよかったんだろうと改めて思った。 治療はしない、するのは緩和治療のみ。できることを無理せず続けていく。  リエの子供は死んだ男に懐いていて、パパ、と呼んでいた。この男の素性が誰であるか以前に、この中学生の男の子にとってこの男と過ごした日々が本当だった。「パパ」が亡くなって、悲しくはない、ただ居なくて寂しい、と語る少年の言葉が愛犬を無くした自分の心情と重なった。寿命だったし、精一杯生きたし、悔いも(あまり)ない。ただ居なくて寂しい。自分と一緒にいる中で男の中に嘘があったか、なかった、などよりも大切なものがあるのだ。少年にとって死んだ男と生きた時間は真実だった。男の素性に嘘があったとして、それにどんな意味があるのだろう。  この少年は、男の死後、母親に泣いて責める。僕は生まれた時、「⭕️⭕️性(母親が別れた夫の姓)だった、それから⭕️⭕️性(母親の元の性)となり、再婚した谷口性とすでに3度変わっている。日本における生活において苗字が社会的に重要であることは否めない。苗字が変わることは本人のアイデンティティーを揺るがせるぐらい大切なことだ。  日本独特の問題もあるが、在日の問題、なども含めて、人のアイデンティティーとは何かを問う優れた映画だった。原作を読んでみたい。